home
gallery
profile
topics
contact
blog

K I R A K U
  K U B O T A

 
  
久保田 毅楽 アーティスト 1975年生まれ。
大学卒業後、建設会社に勤務。現場監督として海や山での建設事業に携わる。
2001年に退職し、愛と自然をテーマに独学で制作を行っている。また、環境問題への関心から、ごみや不要物をアート作品として再生するRECYCL'art(リサイクラート)のコンセプトに賛同し、2005年よりRECYCL'artistとしても活動中。






nature love painting








 私たちは地球上において常にさまざまな物質と関わり合い生活しています。家の中では机や椅子、種々の電化製品、陶器やガラスからなる食器類や雑貨類などに囲まれています。一歩外に出れば鉄やコンクリート、木製の建設物、金属類でできた自動車や電車などの交通機関でひしめき合っています。資本主義経済や科学の発展と共に、もはや土に返ることのない化学物質が巷には溢れかえっています。地球上の全人類を生かすための経済性や利便性のためには、それらの化学物質を安易に否定することはできないでしょう。しかし忘れてはなりません。私たちの頭上には青く澄み渡った空が漠々と広がり、足元には母なる大地が遥か彼方まで続いていることを。森の木々たちは風に揺られざわめき、鳥たちは歌い、太陽は日々忘れることなくすべてのものに光を注いでくれていることを。私たち人類は古へより自然と共にありました。現在も未来もそれは変わらないでしょう。自然と共に生きなければ、自然物である我々人類が生きてゆけるはずがありません。

 世界中のどんな人間においても、自然を嫌う人はいないはずです。 自然や人間に愛されることを自ら進んで望まない人もいないでしょう。私たちは自然の中に包まれることの心地よさ、美しさ、安らぎというものを遥か昔から魂の奥底に刻み込んでいるのかもしれません。たとえ頭が忘れても、私たちの肉体と魂はその喜びを忘れることはありません。

 21世紀に突入しても尚、戦争やテロはやむことはありません。人間の欲望はいつの時代も無限で尽きることはないのでしょうか?いつもこの地球のどこかで、戦火に怯えている人々がいます。そして、お母さんや、お父さんや、お兄さんや、お姉さんや、妹や弟、かわいい赤ちゃん・・・血の通いあった家族が悲劇の死を迎えているのです。信じられるでしょうか?自らの頭上に爆撃でもされない限り、大切な家族や肉親がそのような目にあわない限り、自分の問題として真剣に考えることは難しいかもしれません。しかし、実際にはそのような痛ましい事実がこの地球上のどこかで毎日繰り返されているのです。

  私たち人類は数々の戦争や様々な出来事を乗り越え、21世紀を迎えました。インターネットやメディアの進化により、世界中の事件や出来事をすぐに知ることができるようになりました。世界中のものがボタンひとつで買えるようになりました。地球上における環境破壊や保全も身近に触れることができるようになりました。世界がとても狭く身近に感じられるようになってきたのです。それにともなって、
世界中の全人類の共通意識 ・・・・・地球環境や私たち人類に対する、愛や平和を望む普遍的な想いというものがますます大切になってくるはずです。自国のことを、他国のことを、地球のことを、宇宙のことを、他人事でなく皆が自分自身の問題として真剣に想像し、考えるべき時代に突入しています。現在もたくさんの病気が蔓延していたり、森林伐採などの自然環境破壊が行なわれ、先進国に搾取されている貧しい国々があるということを忘れてはなりません。普段自分を取り囲む生活環境が忙しく、それどころではないという方でも、少し視野を広げてみれば理解できるはずです。全世界の人々にとってあらゆる世界はもう身近なことなのですから。

 21世紀のハイテク時代だからこそ、自然の大切さというものがますます浮き彫りになってきます。ハイテクノロジーと自然とは相反するものではありません。むしろ、共に密接に関わりあいお互いを高めていくものだと思います。私たち人間はどんなに進んだ時代に入ろうとも自然の一部分であることを忘れてはなりません。自然との関わりなしに生きていくことはできないし、本当の意味での幸福感を得ることはできません。
人や自然を愛することの喜びや安らぎを心から感謝すること。人や自然に包まれている、愛されていると心から感じること。 ・・・・・世界中のすべての人間が本来当たり前にできることです。皆がそのような幸福感を得られる世の中を心から願っています。
 
「既にあり、永遠にあるもの」







  大自然の四大要素といわれる「地・水・火・風」がただ美しいように、花も木の葉も太陽の光や雲も、波や水の泡もみな普遍的な美しい「かたち」を備えています。これらの「かたち」は私たち人類が誕生する遥か以前からこの世に存在しています。そして未来も、地球がある限りは変わることがないでしょう。

  これらの「かたち」はどれだけ眺めていても飽きることはありません。飽きるどころかとてもリラックスした満ち足りた気分にさせてくれます。(人間は自然界の一部なのであたり前のことかもしれませんが・・・)

 私はこれらの自然に満ちた「かたち」を集約して抽象化し、作品の中に「生命感あふれる普遍的なかたち」として浮かび上がらせたいと願っています。その「普遍的なかたち」を生み出すと言うよりは、私の魂や肉体を通し、月から溢れる光のように自然と流れ出ると言ったほうが適切かもしれません。

  流れ出たその「かたち」のかけらの一つ一つは生物の細胞のような美しい形と秩序があり、時間の眺望(ちょうぼう)の中で絶え間ない変質を繰り返しているのです。これらの細胞は絶えず呼吸し、集まっては散り、森羅万象と常に共鳴しあっているのです。したがってその「かたち」は同一であって同一でなく、反復しながら反復でなく、時と処(ところ)を超えた「永遠なる今」を刻み込んだ普遍的なものであり、永遠の平和を望む「限りない愛のかたち」でもあるのです。
 
profile top